宮崎 色を塗る仕事があるんですが、僕らの世代では遅い早いはありましたけども、必ずある一定のところまでは誰でも塗れたんです。そこから先は適性がものをいって、手羽やにできるとか、てきぱきできるとか、才能を発揮していい色を決めていくとか、いろいろ広がっていくんですけどね。ところが最近は、入ったときから一年間なんにも進歩しない子がいるんです。本人は必死にやるんですよ。とみんなが帰ったあとも一人残ってね。でも経験が蓄積されてこない。こういうことは僕らは予想もしていなかったことなんです。
指先の訓練をしていないからじゃないかという仮説を立てて、入社試験のときに、ごく普通の試験のほかに、幼稚園の入園試験みたいなんですけど、はさみを使う試験とか、絵が動きを表す過程で変わっていく、で、「この部分はこういう色が塗ってありますが、この隣りの部分は何色ですか」とか、そういうほんとに簡単な推理の問題を考案してやってみたんです。そうすると自分は器用だと思っていた子が、全然器用じゃなかったり、いろんなことがわかった。わかったけど、それでもうまくいかないんですね、実は。
そんな単純な問題じゃないんですね。人間がヒビ経験していくことを総合して自分の中で膨らましていく能力というのは、もっと幼いときに、やるべきことをやりながら身につけるものなんですね。
木にぶら下がったとたん、「あっ、これ折れそうだからヤバイ」と思うことは、どこで覚えたんだろうって記憶に無いですよね。「ここを踏んだら沈むぞ」とか、「ここはぬかってるから踏まないほうがいいな」というのは、いつの間にか覚えることですよね。それは幼児期に、たくさんの実際の現実と触れながら、失敗もしながら覚えたことなんです。それは近頃はやってないんじゃないか。そういうことの判断を作っていく仕組みもどうやら後天的に手に入れるものらしいと、その経験で僕は思うようになったんですけど、それをこの民族はやってないぞということなんです。
指先の訓練をしていないからじゃないかという仮説を立てて、入社試験のときに、ごく普通の試験のほかに、幼稚園の入園試験みたいなんですけど、はさみを使う試験とか、絵が動きを表す過程で変わっていく、で、「この部分はこういう色が塗ってありますが、この隣りの部分は何色ですか」とか、そういうほんとに簡単な推理の問題を考案してやってみたんです。そうすると自分は器用だと思っていた子が、全然器用じゃなかったり、いろんなことがわかった。わかったけど、それでもうまくいかないんですね、実は。
そんな単純な問題じゃないんですね。人間がヒビ経験していくことを総合して自分の中で膨らましていく能力というのは、もっと幼いときに、やるべきことをやりながら身につけるものなんですね。
木にぶら下がったとたん、「あっ、これ折れそうだからヤバイ」と思うことは、どこで覚えたんだろうって記憶に無いですよね。「ここを踏んだら沈むぞ」とか、「ここはぬかってるから踏まないほうがいいな」というのは、いつの間にか覚えることですよね。それは幼児期に、たくさんの実際の現実と触れながら、失敗もしながら覚えたことなんです。それは近頃はやってないんじゃないか。そういうことの判断を作っていく仕組みもどうやら後天的に手に入れるものらしいと、その経験で僕は思うようになったんですけど、それをこの民族はやってないぞということなんです。
— 宮崎 駿『出発点 1979〜1996』 P.24